知多木綿の歴史は古く

 

 400年前の慶長年間(1600年頃)には生白木綿(きじろもめん)の江戸送りが既に始まっていたと記録されています。

 農家の副業として発祥した知多木綿は、その後、晒技術を取り入れ「知多晒」として定着し、廻船輸送を利用して江戸送りも活発化し、江戸で最も名の通った最高級織物としてもてはやされました。

 

明治に入り、豊田佐吉翁の

 

 「動力織機」発明に端を発しその生産量も飛躍的に伸び、日本経済の基幹産業として、めざましく発展してきました。

 古くから伝えられる木綿づくりの知識は、コンピュータ制御による新鋭機器になったとはいえ、変わることなく現在も生かされています。

 

知多木綿としての織物産業は、

 

 現在も半田市を中心に全国有数の産地として優位性を確立し、この地方の経済発展に大きく貢献しています。

 新しい飛躍を目指して人に優しい天然素材をもとに、地球規模で将来を見据えた商品開発に真剣に取り組む知多木綿は、織物産業の新たな扉を開くこととなるでしょう。